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昔の釣り 話

2013年1月27日 (日)

釣りに行けないときの 昔の釣り 話 その4

2013/1/26 カニ タコ 獲り

 

去年の12/24以来、釣りに出ていません。
別に浮くのが嫌いになったとか、釣れないとか、寒いとかの理由でなく、たまたまとちょっとした意図がこういう結果になっているだけなのですが・・・。

たまたまは風が強い日が続いたことです。これはちょっと困り者で、今日も10.5m/s15.8m/sなんていう風予報が出ています。お正月はこんな日が続いたのですね。

Img_0663

そして、ちょっとした意図というのはボーズが続いたことや毎週のように浮いていたことから、段々雑な釣りになっているなと感じてたのです。これも、まぁたまたまが関係しているのだけど、行ってみたら思っていたより波や風が強かったり、途中から荒れだしたとかもあるわけです。
そんなわけでとにかく風予報が厳しい時は出ない、じっくり釣れるときに行こうという気持ちになりました。

それとやはり家族サービスを忘れてはいけません、そんなこんなで浮けた日もあったけど、気がついたら1ヶ月近く浮いてない・・・。()

こんな時は「釣りに行けないときの 昔の釣り 話 その4」とでもいきますか・・。

今日も京都の田舎の釣りというより「取り」の話、カニとタコです。

もう20年以上前、独身時代だった頃、盆暮れは必ず田舎へ帰っていました。

その頃はお袋も健在で、帰ることが孝行だと常々兄が言ってくれていたからです。
そして帰ると兄のおもてなしが待っています、ここでいうおもてなしは釣りに連れていくことです。

それはその時に帰ってみないとどこで何を釣るのかわからないおもてなしでした。
チヌ、キス、ボラ、タイ、アジ、アイナメ、カサゴ、ヒラメ、ハタ・・・・・どうやって覚えたのか、色々な釣りに出かけるのです。これは遊漁船の釣りではありません。防波堤だったり、河口だったり、磯、ゴムボート、手漕ぎと色々な方法での釣りです。

 

カニ獲り
お盆に帰った夕方のことです、おもてなしが始まりました。
「おい、出かけるぞ、用意しろ。」いつもこんな感じで始まります。
何を釣るとも言われていないから、ちんぷんかんぷん・・。
兄はバケツやら、クーラー、タモを用意しています。

「おい、懐中電灯。」あたふたと2人分の懐中電灯を用意して準備完了。

動きだした車の中で「何釣るの?」と聞くと「・・・・ワタリ」とだけ返事。

「ワタリってワタリガニのことかぁ? どうりで竿が無いわ。」

「そうそう、岸近くに寄ってる。みそ汁に入れると美味いぞ~っ。」

車中でこんな話をしながら向かったのは舞鶴 田井でした。

Tai0102

 

護岸されている海岸線を自分がライトとバケツ、兄がタモを持って歩きます。

ライトは単一電池が4本入る強力ライトですが、タモが届かないくらいの位置を照らして、直接ワタリのいそうな部分は照らしません。

かなり敏感なので強く照らすと逃げるのです。見つけたときに直接照らしてた場合も、わざと外すように照らし直します。

背後にタモを入れ、そっとふたをするように被せるのだけど、背後に置いた時点で気づかれることも多くあります。でもこの時点なら大丈夫、あわくって逃げようとしたワタリは自ら網の中へ入ってしまいます。浅い場所だとこの取り方で十分な数をあげることができました。
カニは捨てられた魚などを食べに来ているので、民家の近くの浅場はいい条件が揃っています。

防波堤など深さがある部分もワタリより深めの位置へタモを下ろし、コンクリート沿いにすくい上げる取り方です。


ここで獲れたワタリ、正式名称はイシガニではないかと思います。
ハサミは強力、指が落ちることはないかもしれないけど、挟まれると大出血は間違いなしです。
ゲンコツくらいの甲羅を後ろからしっかり掴みバケツへ放り込みます。
バケツいっぱい、おそらく10匹以上いたでしょう。バケツの中でガサゴソ音をたてて動いていました。

みそ汁の具、塩茹でと食べましたが、大きめだと身も味噌などもイケます。ズワイなどのカニとは比べるとかわいそうだけど、獲って楽しんで食べることを考えればおもしろい遊びですね。

タコ獲り

同じく田井での遊びです。同じ日ではありませんが、マダコもいっぱいいるのです。
仕掛けは磯竿のしっかりしたものにタコテンヤをつけます。
タコテンヤにはイシガニを縛り付けて完了です。

暑い真夏の昼の、兄とペアの釣りです。

タコは水を嫌うので河川の流入の無いところが条件になります。当然雨が降ったりすると岸から離れてしまうので、カンカン照りの続いた日などが好条件。

兄が竿、自分がクーラーを持って防波堤を見てまわります。

 

タコは防波堤などにくっついているイガイ(ムラサキイガイ、ヨーロッパのムール貝)を食べに来ます。ビッシリとイガイが付いているようなところなら必ずタコが来ていると思って間違いありません。
イガイの付いた防波堤を上から丹念に探していきます。マダコは擬態しているので慣れないと見つけにくいのだけど、平らになっているはずのコンクリートが盛り上がっているようだったら、タコかもしれません。よーく見てるとタコかどうかわかります。
見つけたらイシガニを縛ったタコテンヤを防波堤より30cmほど離した状態で降ろしていきます。

決して防波堤にくっつけてはなりません。防波堤にくっつけると、そこでイシガニを食べ始めるから、いくら引っ張っても剥がすことができなくなるのです。
タコの真横まで降ろすとタコがイシガニ欲しさに1本腕を伸ばして捕まえようとします。
ここで我慢、タコがタコテンヤに乗り移るまで、ひたすら我慢です。
やがて我慢できなくなったタコがフワッとタコテンヤを抱いたその瞬間にグィッと合わせを入れ、そのまま一気に取り込み、クーラーへ放り込み完了です。

このフワッと浮いた瞬間はドキドキで楽しいですね。

田井には漁協があります。防波堤より手前ですが、ここも漁で獲れた魚のクズを捨てるので、タコが寄ってきています。ただしこちらは垂直でなく、底にいるのです。擬態しているので分かりにくいけど、慣れてくるとすぐ見つけられるようになります。この場合タコテンヤはタコ手前に静かに落します。タコがイシガニを見つけて乗ればガンッとあわせてそのまま取り込み完了です。

あちこちでタコを獲って10杯ほどだったと思います。
お袋は鯛や平目を釣ってきたときも「こんなに釣ってきて、どうするの?」と言いますが、マダコだけは別、大好物なのです。タコの量を見るなり、ニコニコ顔に変身です。()

 

煮ダコ、酢ダコ、色々な料理で食べましたが、何といっても美味しかったのは刺身です。
噛めば噛むほど甘くなる、うーーん、今でもいっぱい獲れるのでしょうかね。

Img_0664

ここで、日曜日の話です。
昨日の予報では風が5m/s位ということであきらめ家内の手伝いしていました。

しかし、海は穏やか・・・・。
海快晴を見なおすと修正されてました…。

うーーーん、出れば良かった・・・・。

 

2013年1月 3日 (木)

釣りに行けないときの 昔の釣り 話  その3

2013/1/3  ボラ 団子釣り

ここのところ下多賀て゜は強風が続いています。半端な風ではありません。近くにある竹やぶは半円を描いてしなり、風が山を下っていくゴォーッ、ヒューッというすごい音が絶え間なく聞こえてきます。
沖合いはうさぎの山、そして一部にはうさぎが集まり、白い煙のようなものが立ち上がっているところも見えます。
駐車場にブルーシートにくるんで置いてあるレボ13はブルーシートを剥がされ、車の近くまで動いていく始末・・・。
とっても出られた状態ではありません。そんなわけで「釣りに行けないときの 昔の釣り 話  その3」でも書きますか。

再び、小学生の頃の話です。

自分が生れた京都北部の田舎では、ほとんどの家がお米を作る農家でした。
田舎の良い所はすべてを共有するというか、何かいいものが出来たりすると、近所の人にもお裾分けをする習慣があることです。

柿がたくさん採れたからとか、スイカが山ほど採れたからとか、たけのこなど自分の家でしか採れないものは、無い家にあげるのです。

自分が毎年心待ちにしていたのは、近くのsさんという人が持って来る、寒バエ(普通ハヤ、オイカワのことですがここでは川の小魚全体をさしています。)の甘露煮でした。
この甘露煮、そんじょそこらの甘露煮とは違う、とってもおいしい甘露煮なんです。
普通、寒バエを煮付けたら、小骨がどうしても引っかかるものになります。しかしsさんのハエは大きいのが入っていなくて、約5cmの均一なハエばかりの甘露煮です。長い時間コトコト炊いたという甘露煮は、骨が抜いてあるかと思われるほどまったくそれが無く、甘すぎもせず、辛すぎもせず、寒バエの持つ川魚独特の臭みも全くありません。それどころか寒くなって脂肪を蓄えた寒バエの旨味がそのまま封じ込められ、煮崩れもしていません。

熱いご飯と一緒に食べると、何杯もおかわりしてしまうほど美味しいご馳走でした。

子供ながらに母の話などからわかったことは、sさんは投網のカンサツを持っているから、冷たい川に入って均一なハエを取ることが出きること、お腹を出して、串刺しにして、表面を軽く炙り、藁を束ねたものにその串を刺して干しておく、それを奥さんが時間をかけてコトコト煮込むことでした。
(寒バエのお腹の出し方って、包丁使わないのです。お腹をエラ側からそっとつかんで、肛門側へキュッとオスとお腹と浮き袋がピュッと出てきます。)
まだ鑑札の言葉を知らなかった頃なので、カンサツって理科の観察??って勘違いしていた頃でした。(笑)

そしてxさんは違うものを持ってきてくれます。(残念ながら名前を忘れてしまった。)
「こんばんわー」
「xじゃぁ、おられますかい?」
「ボラ釣ってきたんやけど、食べてぇな」
「まぁ、おっきいボラ、何処で釣ってきちゃったん?」
「由良川じゃぁ、ようけ釣れてのー、困っとるんじゃぁ、もろてくれへんこ?」
「まぁ、おっけにー、すまんなぁ、いつも、いつも・・・。」
こんな会話がxさんと母との間で取り交わされていたでしょうか、どんな魚なんだろと自分は奥から聞いていました。京都北部の訛りもかなり忘れています。(笑)

こんなこともあった時、たまたま兄が帰っていたのでしょう。xさんにどこでどうやって釣ったのか、帰るxさんを引き止めて聞いていたようです。

ボラは団子釣りという方法で釣るとのことでした。
さて、釣り支度です。まずは餌ですが一番大事なのが土なのです。

へっ?土って思うでしょうが、ボラは雑食性の魚で、藻類、有機物を泥と一緒に食べる習性があります。そこで土にサナギや米ぬかを混ぜて練ったものを団子状にして餌とするのです。当然、土は特別のものでなければなりません。それは色々なものを混ぜても固まる土、赤土なのです。元々、京都北部は赤土が多い地域なのですが、関東ローム層の赤土とは違います。関東のは見ようによってはこげ茶色っぽい色ですが、丹波のはもっと朱というか赤みがかった土なのです。鉄分が多く含まれているのだと思います。
この中で幾らか白っぽい赤土、粘土質が多い土がベスト。自分が住んでいた所では自宅から2km程離れた丸山の土が最高でした。

米ぬかを炒ります。農家なので米ぬかは山ほどあります。サナギは近所の駄菓子屋に釣り道具などと一緒に売っています。これを買ってきて細かく潰します。赤土も細かく砕いて、これらを混ぜて水を加えて練っていきます。米ぬかの炒った匂いとサナギの香り、こりゃあボラでなくても食いつくでしょう。固さはどうだったでしょう?耳たぶ位の固さだったでしょうか?

xさん、兄はバイクに乗り、自分は後席で出発です。(京都北部の訛りではバイクと言わずポンポンと言いました。)
西阪を過ぎ、国道178号線に入り、大江町を過ぎます。石浦より上流の辺りでしょうか、国道から外れて由良川へ向かう道へ入ります。
ここは由良川河口近くの汽水域、野小屋とは言えない、岸にちょうど桟橋の短いようなものが、板を打ち付けて作ってあります。ここにどっかと腰を降ろしての釣りです。前は由良川、左右は葦が生い茂っています。

Yura0100
由良川下流

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この辺かな?

仕掛けですが、ぼやっと覚えている範囲では、大きな針が4~5本付いた仕掛けです。
適度に固くなった団子にこの針を四方から埋め込み、完成です。
竿はありません。手釣り糸(茶色の渋糸というものだと思います。)にこの団子仕掛けが付いていて、1.5m位の孟宗竹で作った大きなスプーンのようなものでエイヤとばかり投げるのです。

餌の付いた仕掛けを投げる前に、何個か団子を一ヶ所に集中させて投げ込みます。これで魚を寄せるのです。
投げ終わった後、渋糸を1m位の竹を板状にしたものに引っ掛けて、その板の先端には鈴を付けて完了。
ボラがかかるとチリンチリンと鈴が鳴るのです。

待ちの釣りなので、ボーッとしている時間が長くあるのですが、色々とおもしろい光景も見られ、飽きることがありません。

まずは川の上流は向かって右側なのに、左側から流れてきます。浮いているものも、全て下流から上流へ流れていくのです。兄に聞くと「満ち潮だからだよ。」実体験で初めて知った満ち潮でした。

そして魚も満ち潮とともに上流へ向かいます。ボラのジャンプにはビックリし、サヨリだったと思うのだけど、透き通った細い魚が目の前を通り過ぎるのは、川の魚しか知らない自分にとって興味深々といったところでした。

やがて、その時はやってきました。
「チリ、チリ、チリリン、チリリン。」
「おっ、かかっとるで。」
「おおっ、その引きはボラや、ボラやでぇ。」
大きな50cmはあろうかと思われる魚がバタンバタンと取り込まれました。
「あかん、メナダや。」
メナダはボラとほとんどそっくりの魚ですが、少し目が小さく、赤っぽい、胴体もボラが青っぽいのに比べ黄色っぽくなってます。初めて見た人は違いがわからないくらい似ています。この辺ではメナダは好まれず、ボラを好む傾向があります。脂ののりがイマイチだったかなと記憶しています。

それでもうれしい一匹です。そのうち待っていたボラも釣れ、最終的には4匹ずつ程釣っていたでしょうか。
自分は結局釣れなかったのを記憶しています。まぁ、子供だった自分は真面目に釣っていなかったところもあります。(笑)それでもいろんな魚を見ることができたことが印象に残っています。

こんなのんびりした釣りは、この後一度も経験していません。今でもやっている人はいるのかなぁ・・・。

ボラは綺麗な水のところだと刺身、洗いなどが美味しい。しかし、ものによっては臭みが強いものがあり、酢味噌などで食べますが、実家ではショウガ醤油で食べる食べ方をしていました。かなりいけますよ。
それ以外にも卵巣は塩漬けして乾燥すればカラスミという珍味に、胃はボラのへそと言って珍重されます。

はっきり記憶をしていないけど、ここに書いた釣りの季節は冬ではないかと思います。
寒ボラ と言って、ボラの旬は冬ですからね。
ただ、寒いという感覚が記憶に残っていないため、そのまま書いたのですが、天気のいい日だったのかもしれません。

2013年1月 1日 (火)

釣りに行けないときの 昔の釣り 話  その2

2013/1/1

大晦日 シイラ釣り

独身時代、盆暮れは必ず京都の田舎に帰っていました。
その度に兄は新しい釣りで誘ってくれます。
ある年末、帰郷したら早速「おい、シイラ釣りに行こう。」
大晦日、母や兄嫁などバタバタしている中での4時間釣行です。
田舎は山の中、海のある所までは近くても30kmあるでしょうか?
少しだけど雪も降っている日でした。

大体、シイラって夏の魚でしょう??
よりによって真冬の大晦日、しかも雪降ってますょ??
これが九州とか沖縄ならまだしも、さっぶい、日本海の若狭湾ですよ?

そんな疑問をよそに、さっさと釣り支度を終えて出発です。
上杉の交差点を曲がって、黒谷を通り過ぎ、いつも餌買いで寄っていくウスイ釣具店は寄りません。
「あれっ??寄らないの??餌は??」
「シイラってくりゃあ、ルアーでしょう? 餌は要らないよ。」と兄の返事・・・。
確かにシイラはルアーがいいけど、冗談と思っていた・・・。
実はアジなんかの防波堤釣りだと思っていたのです。
たしかに支度しているとき錆の入ったルアーを何個か入れてたっけ・・・。
この時やっと本気でシイラ釣りなんだとこの時思いました。

舞鶴若狭自動車道なんてまだ出来ていない頃の話です。
西舞鶴の街の交差点を右に曲がります。
東舞鶴も通り過ぎます。これで防波堤のアジの線は消えました。
よく釣りに連れていってもらった田井の道へも曲がりません。
国道27号線をひたすら東へ走ります。
やがて高浜に着いたとき、27号線から離れ、ハンドルを左に切ったのです。

暫く海岸沿いを走ると高浜原子力発電所が見えてきます。
それも通過して、着いたのは音海(おとみ)の大波止でした。

Otomi01

Otomi0300

そして海には何十匹ものシイラ・・・。
ぐるぐると円を描きながら泳いでいます。
「原発の温排水に集まったシイラだよ。もう何処へも行けないんだ。」
内浦湾の中のもう一つの湾に高浜原子力発電所はあります。
音海大波止はここを被う形になっているので湾内は水温が高いようです。

錆ついたルアーをキャストすると何のテクニックも要らずで、50~60cmのシイラがかかります。
簡単過ぎるのと、持って帰って食べる訳でもなかったことから、3匹も釣ったところで釣る意欲が無くなりました。
背景に原発、そこで行き場を失ったシイラがぐるぐる泳いでいる。
いつしかボタン雪に変わっていた風景は今でも心に残っています。

音海大波止はシイラ以外にもヒラマサ、サゴシ(サワラの若魚、関東ではサゴチ)、ツバス(関東のワカシ)、シオ(ショッコ、ショゴ、カンパチの若魚)そしてアオリなどが釣れるところのようです。
また近くには若狭独特の筏もあり、チヌなど狙うこともできるようです。

2012年12月31日 (月)

釣りに行けないときの 昔の釣り 話

  2012/12/31   釣りの師匠って言ったら、自分の場合誰だろう?
独身寮時代、沖釣りを餌付けから全部教えてくれたmさん、彼もその1人だろうし、
会社の釣り部にいた、元漁師のs先輩やf先輩、沖釣りの細かなことを知っていて、釣るのも上手かった。
(航空機関連の仕事場なのに、なぜか元漁師の先輩がいたのです。)

でも、1人だけあげるとしたら、自分の場合は兄でしょうか。
自分が遅く生まれた子供だったこともあって、18も離れた兄でした。
ガンで他界して、もう4年になりますが、彼が教えてくれた釣りはいろんな種類があります。
そういえば自分はカヤックフィッシングをやっていますが、カヤックフィッシングと言う言葉すらなかった時代にシーカヤックで釣りをしていました。

そんな兄と一緒に行った、懐かしい釣りをちょっと思い出しながら書いてみたいと思います。

うなぎ 穴釣り

自分が小学低学年だったころ、兄は既に仕事をしていました。
その兄が田舎に帰ってきたとき、釣りに連れて行ってくれました。
この時教わったのがうなぎの穴釣りです。

家の前には幅20mにも満たないの川があり、ここが自分の遊び場でした。
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この川は本当に小さい時から遊び場でした。
農業用水を取り入れるための大人の肩位迄の堰があり、その下流は足首位の深さの流れになっています。小さいときの水遊びにはもってこいの場所で、春になると小さいハヤなどが上流へ向かって登ろうとします。堰があって登れないのだけど、堰から落ちてくる流れの裏に手のひらほどの奥行きで水の流れが止まっている部分があります。ここに登れない魚がギュウギュウになるくらいいるのです。網でガサガサ探っていくとかなりの小魚が獲れる所でした。
雨が降り、濁りが出ると魚の量が倍増するのを知ったのもこの頃です。

そうそう、この堰の下に冷たい湧水が出てくるところがありました。
ここへ遡上してきた鮎が集まるのです。
湧水の辺りを石で囲っておいて、1ヵ所だけ開けておきます。
小学高学年の人たちと土手の上から見ていて、鮎が何匹か入った所で駆け下りて石で蓋をするのです。
後は鮎の手掴みでした。
残念ながら低学年だった自分に鮎はまわってきませんでしたが・・・。(笑)

この川の堤防は花崗岩の石で護岸されています。
でも長い年月を経て一部崩れたり、流れに洗われ、石の無い部分が露出している所があるのです。
うなぎはこの様な穴をねぐらとしていて、兄によると5cmも満たない三角の穴(石組が菱形に置かれているので角の部分が欠けた状態)で出口が細かい砂になっている所にいる。泥になっている所はいないなどの説明をしてくれたことを思い出します。

餌はミミズ、田舎で獲れるミミズはシマミミズとテッポウミミズ(ドバミミズ、フトミミズ)がいますが、ここではテッポウミミズを使います。テッポウミミズには白い包帯をしたような部分があるのですが、ここに大きな針を刺します。
1m位の切った竹を割り棒状の物を作り、先端は針が外れないよう凹みをつけておきます。
ミミズを付けた針をこの凹み部分に引っ掛けて、穴の中へ送り込むのです。
送り込んだ時点でコツコツとかかってくることもあれば、棒を回収、暫くしてからかかることもあります。
かかった場合、一気に引き抜かないと、穴の中でうなぎが団子になってしまうので抜けなくなります。

こうして獲ったうなぎは小学低学年だった自分の腕と同じ太さ、長さは1mあったように思います。
逃げられないよう必死に掴んでバケツに放り込んだのだけど、この時腕についたヌメリは乾燥するとパリパリとひび割れするくらいでした。
料理はもちろん蒲焼、母が作ったタレと炭で焼くときの香ばしい香りはなんとも言えないものでした。もちろん食べた時の肉厚感、普通に街で食べるうな丼が薄っぺらに感じるのはこの経験からでしょうかね。

5cm位の魚しか捕まえられない小学生にとって、こんな大きなうなぎがいること自体衝撃的体験でした。

マリアナ諸島の海で生まれて、日本海まで来て、若狭湾、由良川と遡上し、その支流の川まで来た大うなぎ、今まで淡水魚だと思っていたけど、実際は海水魚なのかもしれません。

カヤック・フィッシングとは関係の無いテーマかもしれません。
でも感動とか面白みとか、やってみてわかる部分て共通なのかなと思います。
釣りに行けない時の小ネタですが、ポチポチ挿んでいこうかなと思ってます。
京都、北部の片田舎の話が主なので、関東の方は知らないところばかりかもしれません。
あしからず・・・。(笑)

今年もいろんな方にお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

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